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謙信公祭
春日山城跡からの狼煙です。

毎年8月の半ばに、地元の英雄、上杉謙信公の遺徳を偲んで謙信公祭が行われます。
暑い最中の行進は、さぞや、大変だろうと思います。皆、鎧兜を着けていますから。

ただ、米沢鉄砲隊の号砲は暑さを吹き飛ばします。
その暑い中ですが、大河ドラマ「天地人」以降の人出はたいへんなものです。
 

謙信公祭の市中パレードです。

米沢鉄砲隊の試射の瞬間です。


越後上越謙信公と春日山城展

春日山の麓、埋蔵文化財センターでは、“越後上越 謙信公と春日山城展”を、展示物の入れ替えや、更新のうえ、平成28年5月9日まで開催しています。

高田城址公園の桜
高田城三重櫓です。

高田城址公園での観桜会は「100万人大観桜会」と銘打って例年は100万人以上の花見客で、ごった返しています。4,000本の満開は圧巻です。平成26年11月11日、日本三大夜城の一つに選ばれました。

 

大手の橋(極楽橋)に通ずる道
大手の橋(極楽橋)に通ずる道
外堀を囲む様に埋め尽くす桜
外堀を囲む様に埋め尽くす桜

東洋一と謳われた、高田城址公園外堀を埋める蓮は、夏の風物詩ですね。

妙高山を望む、夏の高田城趾公園
高田城趾公園はすまつり

上越まつりの中で圧巻なのが、直江津の祇園祭で、京都の八坂神社の分社で、高田の城下が形成された直後より神様が出向き、のちに川を下って、還御されます。

直江津祇園祭

春日山の全景春日山神社の銘石(揮毫は東郷元帥です。)。

築城以前は蜂ヶ峰と呼称され、山頂には春日神社があり(当時)、後に鎮護するという今の場所に移され、今に至ります。

山の名前も春日山と変わりました。

春日山の春姿です。

銅像も桜に囲まれています。
銅像も桜に囲まれています。

毘沙門堂です。

春日山山頂の本丸跡すぐ近くにある毘沙門堂です。

上杉謙信公が諸事の祈祷をされた所で、当時の場所より一区画ほど移動されてますが、なぜねそうなったかというと、この場所には不識庵という、建物があったと推察されます。

ちなみに、謙信公の法号は不識庵謙信といい、出家の後、謙信と号されました。多分に私的な建物であったと、想像されます。

よって、お葬式もここから出され、遺骸の安置もされていました。お墓になっていた、と言う、説もあります。

今の建物は、昭和に入って建てられ、きっかけは、安置されている、毘沙門天像を当代の上杉家より、寄贈された為です。

傍らには、今も不識庵院跡の碑が建っています。

毘沙門堂
扉を開けた状態です。
毘沙門天像
アップ写真です。

毘沙門天像です。

春日山城跡の本丸跡脇の毘沙門堂に現在安置されているレプリカですが、嘗て本物の像が火災に遭い、後の修復の際、欠損部分を体内に埋め込み製作をされた方が、かの高村光雲さんです。

それを、上杉家当代当主がこの地に寄贈され、安置するための、今の毘沙門堂が建てられました。

上杉謙信公の銅像

春日山を背にした上杉謙信公の銅像です。

上杉おもてなし武将隊です。

上杉おもてなし武将隊は埋蔵文化財センターが拠点です。 


謙信公もさぞやご満悦。
謙信公もさぞやご満悦。

秋の春日山は、華やかです。

春日山神社境内も見事です。
春日山神社境内も見事です。

秋の春日山は、あちらこちらに紅葉が。


春日神社
春日神社

春日山城の守護神、春日神社です。

山からは、離れた位置にあるので、訪れる人も少なく、ひっそりとしています。

春日神社
春日神社

春日神社は千年以上前からあり、春日山城守護神です。謙信公も戦勝の祈願をされた、と、伝わっています。

 

林泉寺惣門、山門です。

林泉寺手前が惣門で、後ろが山門です。

惣門はもともと春日山城の裏門を移築したものと言われています。ですから、約400年以上も経っています。

山門の裏側の扁額は謙信公自筆の、「第一義」が掲げられています。もちろん、本物は傍らにある、宝物館にあります。

 

レルヒ少佐の銅像です。

今から100年程前に、上越市の金谷山で、御覧の一本杖スキーを、日本に始めて伝えたのが、この銅像のレルヒ少佐です。

春日山城跡
本丸跡です。

春日山頂本丸跡で桜越しに、直江津の市街地と日本海まで見通せます。

国分寺三重塔は、江戸時代の作です。
国分寺三重塔は、江戸時代の作です。

平成の大火では、焼失を免れ、江戸時代、創建当時の儘の姿彷彿とさせています。

謙信公が中興の五智国分寺です。
謙信公が中興の五智国分寺です。

現在地に創建されたのが、上杉謙信公です。それから、幾度も焼失し、現在の建物は、平成に創建されています。

関東管領上杉家屋敷跡。
御館(おたて)跡の桜。

謙信公亡き後、養子の景勝公景虎公が跡目を争った中心舞台の、御館(おたてと読みます。)跡にも桜が綺麗に咲いています。

妙高市に残る、上杉家関係の遺構・遺跡。

御館の乱で敗れた謙信公のもう一人の養子、上杉景虎が落ち延びる途中の妙高市にある、鮫ヶ尾城は裏切りの末、自害した所としてね伝わっています。

参考リンク

妙高市にある、鮫ヶ尾城御館の乱で、上杉景勝に敗れて、出生地の北条氏居城のある小田原に向う途中のこの地で、裏切りに遭い、自害したと伝わっている所です

糸魚川市に残る、上杉家関係の遺構・遺跡。

上杉景勝直江兼続豊臣秀吉を迎え入れた勝山城址落水城(おちりみずじょう)とも言う)です。

勝山城址は、国道8号線を覆う洞門脇の天下の険・親不知地区に在ります。

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